親父が記者なので、東日本大震災の取材に行くという話を2日前に聞きました。
震災から時間が過ぎ、ボランティアにもいけず、
悶々とした日々が過ぎて行きます。
ニュースでは毎日の様に情報が入ってきますが
「本当にこれで良いんだろうか?」という疑問がありました。
「何も知らないまま、ただ誰かの発信した情報だけでわかったつもりでいいんだろうか?」
今しかないと思い立ち、別の車で途中まで同行してきました。
僕は仙台空港周辺の名取市を中心に取材しました。
AM1:00に出発して東北自動車道をただひたすらにまっすぐ。
numa氏に会いに行くのもあり、多少テンションは高め。
(震災の状況を見た後で浅はかだったと後悔)
AM5:30、福島県郡山市付近
道に異変あり
明らかに震災前より路面がおかしい、周りの建物にも若干の被害あり。
宮城県に入り
AM8:00、名取市付近
海岸に向かってひた走る。
異様に緊急車両(警察、消防)が多く感じる。
道路も多少なり崩れている所もありました。
…
少し進むと様子が一変しました。
…なにもない…。
大木が転がっている、ぐちゃぐちゃになった車、船がそこら中に落ちています。
親父も僕も絶句でした。
震災当日から既に4ヶ月が過ぎようとしてるにも関わらず
今日見た風景はまさに震災直後でした。
僕はあまりの衝撃でシャッターを押せたのは
この3枚だけです。
もっとひどい光景はまだまだありました。
震災で歪んだ道路は最近の雨で
池の様です。(仙台市内もざらにあります)
アスファルトも津波でもぎ取られている所もあります。
電柱もほとんどが倒れ、家は跡形もなくなっています。
すぐそばまでは普通に家が建っていたのに津波が到達した所から、線を引いた様に何もなくなります。
瓦礫の山がそこら中にあり、
色んな所に水がたまり、虫がわいていました。
ニュースでは復興の話題になってきていますが、自分の目で見た限り手つかずです。
まだまだ助けが必要でした…。
何も足りていませんでした…。
関東圏内にいる人達は東北がまだこんな状況になっているのを知るべきです。
親父は僕と別れた後、気仙沼の方に行きました。
また今度の機会にUPしていきます。
名取を離れ無言で仙台市へ向かいました。
NUMA氏に電話をかけ、おりてきた顔をみて心の中で(元気そうでよかった)。
「コイツ生きててよかった」と思った事はこっ恥ずかしくて
心の中に留めました。
PM13:00、仙台市内を出発してPM22:30無事到着。
総走行距離800km
結構無謀なスケジュール、たった1日でしたが自分にとっては大きな意味のある1日でした。
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