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2011年4月20日水曜日

女川

昨日、イベントで募った物資を関係者と共に女川という場所に届けてきました。

以前、石巻という場所にも届けに行ったのですが、女川に行く途中にそこを通りました。

前に来た時よりもヘドロや瓦礫の撤去は進んでおり、復興へ少しずつ近づいている様子が伺えました。

石巻から車で30分ほど走ったところで女川町についたのですが、その光景に言葉を発することができませんでした。

街が無いんです。

家の基礎や、わずかに残った建物と瓦礫の山。

船が町の真ん中に

町の真ん中にあった電車は山の中に

4〜5階ぐらいの建物の屋上にある車

そんな高い所でも助からなかったなんて…

街並よりも高い丘の上にある建物の1階部分まで浸水したらしい

想像できますか?街が丸ごと津波に飲み込まれたことを。

今もまだ瓦礫の山にたくさんの遺体が埋まっている現状、簡単に重機を入れての作業ができないのだと思います。

自衛隊はまだまだ捜索作業のまっただ中でした。

写真を撮る事ができなかった

写真を撮って、載せたとしても伝わらないと思います。変にそれを見てわかったつもりでいられるのが一番恐い。

興味本意や冷やかしではなく一度は現地に来て見たほうがいいと思います。

私もわかったつもりでいましたが、全くわかっていなかった。

考え方が本当に変わります。

復興、復興と言っていますが、正直まだこの地域はそのスタートが切れていない。

街としての。

まずは行方不明者の方々を見つけ出し、重機を入れてフラットにしてからじゃないと町づくりはできないと思いました。

昨日は雨が降り、海からの冷たい風がゴーゴーと吹き荒れた日でしたが、そんな中でも作業を続ける自衛隊の方々。本当に頭が上がりません。

遺族の方達のためにも一日でも早く会わせてあげたいと思いました。

高台をさらに登り続け、女川町総合体育館に行き、物資を渡そうとしましたが、物資はたくさん届いており保管場所が無いということから受入れを断られました。

正直、ここに限らずほとんどの地域では物資の受入れは停止しています。

ただ、その物資を配分する人、運ぶ人が足りず行き届いてないのが現状なんだと思います。

女川町総合体育館のすぐ横に、テントを張り各世帯ごとで避難しているテント村があります。

朝方には0度以下にもなるだろう場所に自衛隊が使うテントの中で生活している事実。

知人が連絡を取ってそこの方に物資を見せに行きました。

頂けるものは頂きたいと言って、車3台分の物資を受入れてくれました。

受入れを断られたすぐ横で、まだまだ物資を必要としている人達がいる現実。

受入れてくれた物資はテント村の人達に配っていただけるそうです。

帰りに、学校帰りの小学生が大きく元気な声で「こんにちわ!」と挨拶してくれた。

物資を受入れてくれた方は最後まで見送ってくれ、たくさんのありがとうをもらいました。

物資を募り、持って来てくれた人。その物資を届けた人。現地で何かした人が偉いとか、ヒーローだとかそんなんじゃありません。

オレは現地に行けないから何も力になれない。そんなんじゃありません。

何かしてあげたくてくすぶっている人は多いと思います。

現地に来て何かをする事が全てではないので、自分にできることをよく考えチカラになってくれたら嬉しいです。

そして継続して支援してほしい。

今日募金したから。昨日物資を届けたから。それで今まで何も出来なかった事からの罪悪感が取れ、満足されるのが恐い。

まだまだ終わりじゃないことを知ってほしい。

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